slowly life 〜読書、美術館巡り、ワイン、コーヒー〜

気ままに日頃考えていることを文章にまとめるブログ。

「嫌われる勇気」岸見一郎 古賀見健

「嫌われる勇気」 


岸見一郎 哲学者

西洋古代哲学、プラトン哲学と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。


古賀見健 ライター


簡潔に、この本のことを文章で表すと(個人的見解)

「自身の見方・考え方次第で、世界を明るくも暗くもできる。思考の体操のような教科書。」


7年前に初めてこの本に出会いました。

当時25歳の私にとっては、心が救われるような気持ちになりました。

この本に出会った時の私は、過剰なほど、自己中心的な考え方をしていました。

自分の見ているものが全て、相手も同じことを考えているに違いないと思っていました。

だから相手の違いが許せなかったし、相手との違いを知るのが怖かった。

その臆病さからか、友好関係を積極的に築こうとしなかったです。

(自分の思想が崩れるのが怖くて、他人に興味を持とうとしなかった。

他人の思想が自分に入ることが怖かった。)


今では、だいぶ友達が増えたと思います。

人によって、「友達」と呼べる定義は違うと思いますが、友達が少ないと感じていた当時の私は、友達の定義自体が、とても難しい、誰にも当てはまることができないような内容だったと思います。


今は、他者が私自身を理解していなくても、こちらが、相手のことをもっと知りたいと思った時点で、積極的に話しかけています。

そこから、「友達」へと進展していると思います。


また、集団行動や、大人数でのフリートークや顔合わせも苦手でした。(パーティとかも)

しかし今ではその状態は平気になり、誰かと喋らなくちゃという強迫観念よりは、自分の頭の中との会話も楽しみつつ、好奇心を持って人に話しかけていると思います。


他人を知りたいという気持ちになれたのは、他人が自分の思考に入ることはないと気づいたからです。

同じ空間、同じコミュニティ内で過ごしていたとしてもそれぞれで考え方が違う。

私が退屈だと感じてるから向こうも退屈なのかなぁって思っていても、聞いてみたらそんなこと無かったり。

盛り上がらない会話も、向こうはただ真剣に何を喋ろうか考えてて、沈黙を嫌だと思ってなかったり。

帰りたいのかな?って思っても、もっと喋ったり、一緒にいたいと思ってくれてたり。

相手の頭の中で考えていること、感じていることは聞くまでわからないという状態に面白さまで感じています。



「嫌われる勇気」

嫌われてもいいので他人と関わっていく勇気をもつという意味に捉えています。

他人と自分は違うと割り切った上で、意見の違いを楽しむこと。

「私を嫌い」という人物がいても、なぜ嫌いと思うのかその人の考え方や、背景などを想像して分析してみる。

逆に、私自身が嫌いという感情を持った相手に対しても、なぜその感情になったのか考えてみる。

そういう行動を取ると、嫌い・苦手な人間が減ってくる気がします。

いやいや、まだまだ人生は長い。

とんでもない人間にも出会うかもしれない。

でもそれもなんか、楽しめそうです。


本のどこを読んでこんな考え方になったのかは、思い出せないですが、この本の内容は、私にとって、大人への階段を登るための教科書的存在だったと思います。

また、大人になったらから自然とそんな考え方になったというわけではなく、今まで出会ってきた本があるから、そういう思考ができるようになったと思います。

読書は大切。


今書いた感想は、この本の良いところどりしかできていないです。

全員に実践できる内容なのか?

本当にアドラー心理学はこういうもの?などなど

考えなくてはいけません。

自分の処方箋となったこの本を、他の誰かに貸したとしてもきちんと処方箋の役割をしてくれるかは、疑問が残ります。


また、あくまでも、この本は概要書的位置付けです。

その後出た本、「幸せになる勇気」を読むと、筆者の言いたいことがより明確になるのかもしれないです。(私はまだ読んでいない)


心理学哲学が好きと公言しているのだから、もっと深い読み方ができるようになりたいので、色々な書物に触れて、アウトプットしていこうと思います。