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暇と退屈の倫理学 國分功一郎 読んで、話して、思ったこと

暇と退屈の倫理学
國分功一郎


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暇と退屈の倫理学 (新潮文庫) [ 國分 功一郎 ]
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この本は要約や結論を読むだけでは意味が無いと言われている。
通読することこそが、暇と退屈の倫理学の実践をしていることに他ならない。
現代版「君たちはどう生きるか」とも言われており、今までのこと、現在、これからについて考える上で、さまざまなヒントが散りばめられている。
色々な切り口から深められるとは思うが、ハイデッガーの退屈の三形式を元に個人的な話をつらつら書こうと思う。


第一形式
何かによって退屈させられること
例)電車が来るまで時間を潰す


二形式
何かに際して退屈させられること
例)パーティに参加したけどどこか退屈な感じがしていた。


第三形式
なんとなく退屈だ
この退屈においては気晴らしはできず、許されない。
ここにとどまり続けることはあまりなく、仕事をしたり(第一形式)、気晴らし(第二形式)をしたりする。
退屈に耳を傾けることを強制させられている状態。



私は「退屈」を人生の中で何度も自覚している。
明確な記憶はないけど、小学生の頃から退屈していた。(保育園でも退屈はあったことだろう)
小学生の時は、中学受験のため4年生の頃から塾通い(週3日)。
自発的ではなかったけど、家族から受験生であるという役割を背負わされ、退屈だけどやることがある状態だった。
中学に入学して、部活(演劇部)に打ち込む。
生活の中で定期的にテストがあるので、テスト勉強も行う。
高校生になると受験生に変わった。
高校生までは、家族から与えられた役割を常に演じており、自分での決断は無いけど、家族によって第一形式にとどまらせ続けた感じである。


「退屈」の実感が強くなったのは大学生になってから。
時間が有り余り、自らの時間を潰すため決断しなければならない。
ボランティアをしたり、サークル(空手部、探検部、写真部)に入ったり、バイトに打ち込んだり(1年以上続いた試しがない)あらゆることをして退屈を紛らわせていた。
「退屈」が続くことに「恐怖」を感じていた。
何もしていない友人に勝手に腹を立てたり、見下したりしていた。
退屈を紛らわすためにお酒を飲んでもいた。


退屈の恐怖は就職してからも継続した。
退屈な広島から出て、新天地名古屋へ。
看護師として日赤病院に就職。
当時の自分は「国際医療救援部」の看護師になるを目標にしていたが、すぐに打ち砕かれた。
タイミングよく、就職後すぐに彼氏ができて、そっちに夢中になっていた。
看護師の嫌なことばかりに目が向き常に辞めたいと思っていた。
このころは退屈を感じる暇がなかったと思う。
入社3年目で入籍、夜勤のない一般企業に転職。
転職1年目はめちゃくちゃ悩んだ。
2年目に、名古屋から横浜へ移り住んだ。
その後は家を買ったり、フクロウを飼い始めたり、かなりウキウキわくわくすることが多かった。
充実していた。
30歳になる頃、よっしゃ今度は子供だ!って妊活を始めた。
すぐできる思っていたが、なかなかできず「不妊治療中」というネガティヴな言葉を背負って早3年。
現在の会社6年目。
仕事場が変わることもなく、仕事の内容にも変化がない。
仕事も減った(受注が減ったから)。
めちゃくちゃ退屈だ。
退屈凌ぎに転職、キャリアアップをするか?と思っても、不妊治療中であることが邪魔し、進まないでいる。



今の私はめちゃくちゃ暇で退屈している。
周りの子育てしている同僚や友達に比べると、自分に使える時間が沢山ある。
この「周りと比べてしまう」やつのせいで自分は苦しめられ、さらに不妊治療という言葉のせいで、不幸に包まれていたと思う。
退屈な状態に耐えられなかった。
退屈じゃないと思いたいから不幸を増幅させていたとも言える。
愛鳥が死んで悲しい自分、不妊治療を頑張っている自分、夫の悪習慣に耐えている自分、不幸であると思い続けることが、退屈を紛らわせている行為とも言える。


そんな不幸な私は、気分を紛らわすため資格に興味を持つようになった。
心理学系のユーキャンやったし、コーヒーやワインの資格をとった。
芸術にも関心を持つようになった。
自分の不幸に目を向けるよりも、新しい知識の習得に励んだ方がはるかに気が晴れる。
本書ではこの資格の取得は第一形式の退屈であると書いてあったが、私の取りたい資格は、将来お金にもならない趣味の一環である。
個人的には第二形式だと思っている。




本書の付録にある「傷と運命」


絶えざる刺激には耐えられないのに、刺激がないことにも耐えられないのは、外側のサリエンシーが消えると、痛む記憶が内側からサリエンシーとして人を悩ませるからではないか。


この内容は、私自身が陥っていた不幸の渦について説明がつく
退屈を耐えられない私は、記憶という傷跡の参照をずっと繰り返していた。


妊娠しないため退屈が続いている。
これは退屈の第一形式だと思う。
受注が少なくて仕事が暇な状態が続いている。
これも第一形式。
妊活中ということで転職しづらい。
転職という決断をすれば、退屈は紛れるのかもしれない。
ただ、私はそれを決断することをやめて、今の状況を楽しむ訓練をしている。


楽しむためには訓練が必要なのだった。
その訓練は物を受け取る能力を拡張する。
これは、思考を強制するものを受け取る訓練となる。


暇で退屈で何も進まない今、退屈を紛らわすためには、楽しまなくてはならない。



國分先生の出した3つ目の結論、「楽しむための訓練をすること」
これめちゃくちゃ難しい。
私はこの本を読んで衝撃は受けなかった。
多分、言葉にできてないだけで、漠然とした同じ思いを抱えており、行き着いた結論も同じだったからだ。


残念なことにこの本には楽しむための訓練する方法は書かれていない。
強いていうならば、本書を楽しいと思えることが出発点なのかもしれない。