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気ままに日頃考えていることを文章にまとめるブログ。

まとまらない言葉を生きる 本紹介・感想




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まとまらない言葉を生きる [ 荒井 裕樹 ]
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荒井裕樹
文学者、専門は障害者文化論、日本近現代文学



「言葉」「マイノリティ」について考えさせられる1冊。
この本の主旨としても、要約をここに書くことはできない。
この本で語られる、筆者の思いをブログに表現すること自体、気が引けてしまうし、書ききれないということはわかっている。
引用を多くして、本の断片を伝えていくか、自分自身の経験と重ねて感想を書いていくべきか、この思いをどうやったら共有できるのだろうか、とずっと考えていた。
何周か回った後、「まぁ、まとまらない記事でも書いていこうか」と思い、PCに向かった次第である。



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ある人の「生きる気力」を削ぐ言葉が飛び交う社会は、誰にとっても「生きようとする意欲」が湧かない社会になる。ぼくは、そんな社会を次の世代には引き継ぎたくない。
p29 正常に「狂う」こと

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言葉の反乱と言おうか、ただ、言葉について真剣に考えていないから口を出てしまうのか、人を傷つける言葉を使うことがある。

心ない言葉。
私も、家族に対して、同僚に対して、初対面の人に対してさえ、言ってしまっている。
そんな時、後悔し、何故そんな発言をしてしまったのか考える。
感情的になっていた、理性が働いていない状態。
その背景には、疲れていて頭が働いていない、お酒を飲んでいたなどの要因がある。

この本を読んだ後考え直してみた。

もしかしたら、その発言は自分自身の内から出た言葉というよりも、社会全体の影響を受けた言葉かもしれない。

SNSで見た暴力的な言葉、誰かの本音、どこかで耳聞きし、自分の感情にぴったりだと思って、無意識に使いたくなってしまう。
「表現の自由」があるので、そういう言葉を否定してはいけないのだろうけど、
私は、自分自身が使う言葉を自発的に選択したいと強く思った。


私は、会話に苦手意識を持っている。
自分の発言が軽率な気がして、できるだけ発言をしないようにしていた時期もある。
代わりに色々な思いを、ブログ記事を書くことで、発散していた。
文章を書くことは、まさに言葉を選択する行為である。


ただ、歳をとるに連れ、会話・対話の大切さに気付かされることが増えた。
言葉を大切にしながら会話をしたいと思った。
もちろん今でも、無意識に暴力的な言葉を使ってしまうこともあるけれど、対話を続けていきたい。



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<希待>とは、<人間の善性や自己治癒力>を信じ、その<可能性>を<無条件>に信頼しようという姿勢のこと。ぼくはこの言葉を、見返りを求めず相手のことを信じてみようという態度のことだと解釈した。

p 56 「希待」という態度
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<希待>という新しい表現を知った。
期待ではなく、希待。
無条件に誰かを信頼する大切さを30代に入って実感しつつある。
一番わかりやすく、希待しちゃう相手は、夫である。
たくさん迷惑をかけあって、心ない言葉を言い合ったりの繰り返しで紡がれた夫婦生活。
価値観が全く異なり、お互いがそれぞれ大切にしていることを破壊し、けなしあったりもするけど、それでも希待し続けようと思う。
そのためには対話が必要である。



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悩みって、強引に解決を目指しても解決しない。むしろ、悩んでいること自体を認めてもらうだけで、楽になれることも多い。 

p 58 「希待」という態度
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世の中どうしようもない、解決できないことがたくさんあると実感したのも30代に入ってから。
それは、不妊治療のことだったり、愛鳥との別れだったり。
悩み、落ち込んだ時期、ただ話を聞いてくれる存在にどれだけ救われたことだろう。
だから私も、誰かが悩んでいる、その状態を認められる人になりたい。



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「いまこの瞬間、怒っている人・憤っている人、歯がみしている人」を孤立させないことからはじめたいと思う。「自己責任」という言葉が、「人を孤立させる言葉」だとしたら、人を孤立させない言葉を探し、分かち合っていくことが必要だ。
p 198 「黙らせ合い」の連鎖を断つ

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私の周りにも、悩んでいる人がいる。
私は、今までその人たちに対して、「時間が解決するだろうし、そっとしておこう。」という態度を取ってきていた。
しかし、「いつでも側にいる」という姿勢を見せることが大切だと思う。
単純な言葉でもいいから、LINEをしてみる、など。
時に、表面的な言葉しか使えないこともあるだろう。
そういう言葉を使うくらいなら黙っておいたほうがいいと思ったこともあったけど、それでも言葉を探し続けながら、その人に伝えていきたい。
孤立させないし、私自身も孤立しない。


「自己責任」で片付けられる問題が結構ある。
大人になってからは特に、「それは、あなたの選択したことでしょう。特に何も評価もしないし、意見も言いません。」という態度。
また、友人や家族に対しても「誰でも価値観が違うから仕方がない。選択を誤っているように感じるけど、あなたが選んだ道だから、認めて応援してあげよう。」
と放っておいたこともたくさんある。
一見、個人を尊重した、優しい言葉に思えるけど、実は相手のことをそこまで考えられていない態度ではないかと思う。
その人を本当に大切に思うなら、意見を伝えるべきかもしれない。
選択したことに対して否定はしないものの、この選択を続けることでどう言ったことが起こるのか一緒に考えたりする。
そういうことが大切なのではないかと感じた。


他、惹きつけられた言葉。
「権利」に鈍ければ「差別」にも鈍くなる。
今回のこの記事では、敢えてマイノリティや差別のことについて書かない。
ただ、一言伝えるのであれば、私は今、女性であることについて考えている。
世の中の女性のことを知りたいと思っている。




こんな感じで、作者の語る言葉は、私たちが日頃思っていても言語化できてない、実感はしてても深く考えようとしてこなかった内容がたくさん詰まっている。
もう、多すぎて語りきれない。


「まとまらない」を愛おしみながら、この記事を終えようと思う。