表現者とは 〜広島演劇 INAGO-DX 遺食 〜
広島帰省中に、大好きな劇団の公演があったので見にいった。
INAGO-DX(イナゴデラックス)
https://inago-dx.jimdosite.com/
代表は武田宜裕さん
2006年に始動。
初めて見た公演はエレファントヒヒーン
なんと公演は2007年だったみたい。
【過去公演】 INAGO-DXってなんぞや!? - INAGO-DX 公演ブログ
写真を見ると武田さん、若すぎ。。。。。当たり前か
当時は男性ばかりの作品が多く、日常からかけ離れた不思議な世界観の元、熱苦しい男たちが汗や唾を飛ばしながら走り回っていた。
カオスかと思いきや、意外と泣かせるテーマ性の高い舞台だった記憶がある。
さて、今回の公演「遺食」
“「故人の意思を次世代へ継承する」という目的で、亡くなった人の肉を相続して食べる“ 遺食制度”が制定された数年後、制度の生みの親とも言える文化人類学者のエイイチが亡くなった。一人息子のエイゴは、エイイチの肉の遺食を拒み……。”
“遺食制度”を巡るオギエ博覧会「バラと肉」が原作、INAGO-DX「遺食」 - ステージナタリー
時代設定は現代と同じくらいだと思われる。
故人の肉を食べるなど絶対にありえない設定。
舞台を見る中で、以前読んだ西加奈子の「ふくわらい」を思い出した。
登場人物は5人
エイゴ
エイゴの妻
エイゴの娘
エイゴの娘の彼氏
遺食士
関係性が複雑に絡みあっている。
エイゴのお父さんと同じ大学に働いていたエイゴの妻
エイゴのお父さんの研究室にいた遺食士
エイゴのお父さんの遺体をどうするのか
食べるか食べないかをめぐって、隠されていた様々な奥底の感情などが引き出されていく。
愛すべき人と結ばれなかったら
この愛をどこで昇華すればいいのか…
そんなことも考えさせられた。
人間の変態的な部分にも目を向けさせられるような感じだった。
学生時代の頃の執着的な恋心から一転して、
いつの間にかドライになってしまっている自分がいる。
「忘却」と友達になり、私の人生を楽な方向に導いてくれているような気がする。
今年は自分と向き合う時間が多い。
向き合うためにブログを書いていると言っても過言ではない。
私が持つ様々な思いや問いを文章に表現できるようにするためにも、これからも書き続けたいと思う。
と、自分語りが過ぎたが、ここで私が今までに出会った尊敬すべき役者さんを1人紹介する。
今は落語家になった、登龍亭獅鉄さん。
https://nagoyabito.com/human/18628/
名古屋で初めて彼の一人芝居を見た時本当に感動した。
鉄道が大好きでそれに関する一人芝居をされていた。
ジブリもお好き。
脚本も購入してるのでいつでも思い出せる(うふふ)。
いつか落語を見に行きたい。
インスタ発見💡
https://instagram.com/shitetsu4102?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA==
タイトルにある表現者とはということについて。
中高の6年間演劇部をやっていた私は、自分がキャストとして表現することが全てだと思っていた。
その後も様々な演劇や映画やドラマを見るなかでキャストばかりに注目していた。
今は演出家や脚本家などに興味がある。
表現する方法は様々である。
現在はネットが発達してSNSでたくさんの表現者がいる。
私もいつのまにかまた表現者になりたいと思い始めていた。
観客よりも魅せる側になれと言う偉大な人は多い。
その1人はアラン。
幸福論でも言われている。
【19分解説】幸福論|アラン ~全人類必読の世界的名著。幸せな人生を送るべき、あなたへ~
自分で自分の畑を作って耕し、自分を表現し続けることが幸福への第一歩だと私も思う。
一般的に表現者は多数の人に認知されなくては意味が無いと思う人も多いだろう。
しかし、たとえ数人にしか認知されなくても、自分の思いや考えをぶつけて、表現を続けて、見られているという感覚を持つことは、かなり気持ちが良い。
例え月100のPVしかなくても私はブログを色々書いていこうと強く思った。
有名にならなくちゃいけないなんて思わず、ただただ自分を外に出し続けることを今後も続けよう。
記事の積み上げが、今後私がしたい何かにつながると思うから。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。