slowly life 〜読書、美術館巡り、ワイン、コーヒー〜

気ままに日頃考えていることを文章にまとめるブログ。

認知バイアス事典 行動経済学① アンカリング サンクコストの誤謬 メンタルアカウンティング 自信過剰 ピア効果 後知恵バイアス 現在バイアス 損失回避性 確実性効果 社会規範




「認知バイアス事典」
行動経済学・統計学・情報学
監修者高橋昌一郎先生


前回のブログ記事はこちら。
認知バイアス事典 社会心理学②心理的リアクタンス 現状維持バイアス 公正世界仮説 システム正当化バイアス チアリーダー効果 身元のわかる犠牲者効果 同調バイアス バンドワゴン効果 ダニング=クルーガー効果 知識の呪縛 - slowly life 〜読書、美術館巡り、ワイン、コーヒー〜


2巻目となる、こちらの本も自身の記憶に定着のために、ほとんどコピペのようにはなるけど、記事としてまとめる。
自分が読み返す用。
前回同様、10✖️6個の記事になる予定。


アンカリング
ある答えに誘導してしまう、何らかのきっかけによって生まれた情報のこと。


店頭広告 本日限り 希望小売価格 などもその一つ。
「ピザ」を10回言った後肘を見て膝と言ってしまう行為もこれに当てはまる。




サンクコストの誤謬
すでに投入した回収不可能なコストを回収しようとする不合理な判断。


食べ放題で元を取ろうと食べすぎる。
Amazonやコストコなどで年会費を取り戻そうと大量に買い物する。


撤退、中止、解約、変更という選択肢を考慮に入れるべき。
これを読み、dカードゴールドを解約しようと心に決めた。



メンタルアカウンティング
最終的な支出は変わらないにも関わらず、心の中で目的別、トピックごとに予算分けしていること。


125ドル→120ドル
15ドル→10ドル
どっちの値下げが嬉しいか?
大抵、下の方が得した気分になるらしい。


家の購入に近いものがあるなぁって感じた。
100万円の値下げが嬉しいに決まっているのに
何故か10%の値引き、50円引きなど頑張ってしまうことがある。



自信過剰
明確な根拠があるわけでも無いのに、自分の判断や決断に自信があること。


皆が良く知っている言葉。
自信がある人たちの半分は自分が失敗することに気づいてない。
自信があるからこそ新しい事業が発展するし。
失敗時の撤退の速さが肝心なのか?



ピア効果
仲間や同僚の存在が成績や生産性に影響を与える効果。


具体的な例に実業団スポーツは所属従業員に影響を与えるとある。
勝ち負けよりも頑張ってる姿に共感している。


自分の所属している会社でも、上司の頑張りより、同僚が頑張ってる姿の方が身近に感じ、自分も頑張ろうという意識にさせられる。
後輩の頑張りもそう。
非常に実感できる効果だ。



後知恵バイアス
結果を知った後に、あたかも知っていたと認識すること。あるいは、当初の考えを修正すること。


結果を知った後では自分もしくは他人は世界観を修正してしまう。
このバイアスの問題点は過去から学ぶ姿勢や能力が低下すること。
組織を萎縮させる危険性もある。



現在バイアス
遠い将来のことでは忍耐強い判断ができるが、近い将来のことでは衝動的な判断をしてしまうこと。


目の前の報酬に飛びついてしまうこと。
自覚できる懸命な人になりたい。



損失回避性
利得よりも損失の方が心理的な影響度が大きいため、損失を回避もしくは最小化する傾向。


10万もらうより10万失う方がダメージが大きい?!


確実性効果
ほぼ確実といわれても、そうは言っても少しばかり不安になるので、確実な選択を好む傾向のこと。


ハズレがない選択肢や状況を好む傾向。
このバイアスを持っている方は株式投資に向かないのかも??



社会規範
自分の損得だけを考えるのではなく、社会や集団のルールの影響を受けてしまうこと。


まわりの目、社会の反応の影響を受けることを社会規範と言う。
これが備わっていることで、秩序のある社会になりやすいというメリットがある。



行動経済学は、それぞれのバイアスに対して機転を効かせた案を出して、社会実験を行う側面もある。
日常の中で行動経済学を利用した対策だとわかるものもある。
仕事や家庭、今後の自信の経済活動の中で、問題の解決のために利用できたらいいなぁと思う。

暇と退屈の倫理学 國分功一郎 読んで、話して、思ったこと

暇と退屈の倫理学
國分功一郎


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暇と退屈の倫理学 (新潮文庫) [ 國分 功一郎 ]
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この本は要約や結論を読むだけでは意味が無いと言われている。
通読することこそが、暇と退屈の倫理学の実践をしていることに他ならない。
現代版「君たちはどう生きるか」とも言われており、今までのこと、現在、これからについて考える上で、さまざまなヒントが散りばめられている。
色々な切り口から深められるとは思うが、ハイデッガーの退屈の三形式を元に個人的な話をつらつら書こうと思う。


第一形式
何かによって退屈させられること
例)電車が来るまで時間を潰す


二形式
何かに際して退屈させられること
例)パーティに参加したけどどこか退屈な感じがしていた。


第三形式
なんとなく退屈だ
この退屈においては気晴らしはできず、許されない。
ここにとどまり続けることはあまりなく、仕事をしたり(第一形式)、気晴らし(第二形式)をしたりする。
退屈に耳を傾けることを強制させられている状態。



私は「退屈」を人生の中で何度も自覚している。
明確な記憶はないけど、小学生の頃から退屈していた。(保育園でも退屈はあったことだろう)
小学生の時は、中学受験のため4年生の頃から塾通い(週3日)。
自発的ではなかったけど、家族から受験生であるという役割を背負わされ、退屈だけどやることがある状態だった。
中学に入学して、部活(演劇部)に打ち込む。
生活の中で定期的にテストがあるので、テスト勉強も行う。
高校生になると受験生に変わった。
高校生までは、家族から与えられた役割を常に演じており、自分での決断は無いけど、家族によって第一形式にとどまらせ続けた感じである。


「退屈」の実感が強くなったのは大学生になってから。
時間が有り余り、自らの時間を潰すため決断しなければならない。
ボランティアをしたり、サークル(空手部、探検部、写真部)に入ったり、バイトに打ち込んだり(1年以上続いた試しがない)あらゆることをして退屈を紛らわせていた。
「退屈」が続くことに「恐怖」を感じていた。
何もしていない友人に勝手に腹を立てたり、見下したりしていた。
退屈を紛らわすためにお酒を飲んでもいた。


退屈の恐怖は就職してからも継続した。
退屈な広島から出て、新天地名古屋へ。
看護師として日赤病院に就職。
当時の自分は「国際医療救援部」の看護師になるを目標にしていたが、すぐに打ち砕かれた。
タイミングよく、就職後すぐに彼氏ができて、そっちに夢中になっていた。
看護師の嫌なことばかりに目が向き常に辞めたいと思っていた。
このころは退屈を感じる暇がなかったと思う。
入社3年目で入籍、夜勤のない一般企業に転職。
転職1年目はめちゃくちゃ悩んだ。
2年目に、名古屋から横浜へ移り住んだ。
その後は家を買ったり、フクロウを飼い始めたり、かなりウキウキわくわくすることが多かった。
充実していた。
30歳になる頃、よっしゃ今度は子供だ!って妊活を始めた。
すぐできる思っていたが、なかなかできず「不妊治療中」というネガティヴな言葉を背負って早3年。
現在の会社6年目。
仕事場が変わることもなく、仕事の内容にも変化がない。
仕事も減った(受注が減ったから)。
めちゃくちゃ退屈だ。
退屈凌ぎに転職、キャリアアップをするか?と思っても、不妊治療中であることが邪魔し、進まないでいる。



今の私はめちゃくちゃ暇で退屈している。
周りの子育てしている同僚や友達に比べると、自分に使える時間が沢山ある。
この「周りと比べてしまう」やつのせいで自分は苦しめられ、さらに不妊治療という言葉のせいで、不幸に包まれていたと思う。
退屈な状態に耐えられなかった。
退屈じゃないと思いたいから不幸を増幅させていたとも言える。
愛鳥が死んで悲しい自分、不妊治療を頑張っている自分、夫の悪習慣に耐えている自分、不幸であると思い続けることが、退屈を紛らわせている行為とも言える。


そんな不幸な私は、気分を紛らわすため資格に興味を持つようになった。
心理学系のユーキャンやったし、コーヒーやワインの資格をとった。
芸術にも関心を持つようになった。
自分の不幸に目を向けるよりも、新しい知識の習得に励んだ方がはるかに気が晴れる。
本書ではこの資格の取得は第一形式の退屈であると書いてあったが、私の取りたい資格は、将来お金にもならない趣味の一環である。
個人的には第二形式だと思っている。




本書の付録にある「傷と運命」


絶えざる刺激には耐えられないのに、刺激がないことにも耐えられないのは、外側のサリエンシーが消えると、痛む記憶が内側からサリエンシーとして人を悩ませるからではないか。


この内容は、私自身が陥っていた不幸の渦について説明がつく
退屈を耐えられない私は、記憶という傷跡の参照をずっと繰り返していた。


妊娠しないため退屈が続いている。
これは退屈の第一形式だと思う。
受注が少なくて仕事が暇な状態が続いている。
これも第一形式。
妊活中ということで転職しづらい。
転職という決断をすれば、退屈は紛れるのかもしれない。
ただ、私はそれを決断することをやめて、今の状況を楽しむ訓練をしている。


楽しむためには訓練が必要なのだった。
その訓練は物を受け取る能力を拡張する。
これは、思考を強制するものを受け取る訓練となる。


暇で退屈で何も進まない今、退屈を紛らわすためには、楽しまなくてはならない。



國分先生の出した3つ目の結論、「楽しむための訓練をすること」
これめちゃくちゃ難しい。
私はこの本を読んで衝撃は受けなかった。
多分、言葉にできてないだけで、漠然とした同じ思いを抱えており、行き着いた結論も同じだったからだ。


残念なことにこの本には楽しむための訓練する方法は書かれていない。
強いていうならば、本書を楽しいと思えることが出発点なのかもしれない。

かもめのジョナサン リチャード・バック 五木寛之創訳




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かもめのジョナサン完成版 [ リチャード・バック ]
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1970年刊行
ヒッピー文化とあいまってクチコミで広まり1972年6月以降に大ヒット。
ラッセル・マンソンのカモメの写真が随所に挿入されている。
本書は章がPart4まであるが、Part4が発表されたのは、2014年。
作者、リチャード・バックが、2012年に小型飛行機の操縦中に墜落事故をおこし重傷を負った後である。
Part4部分は1970年刊行の際にすでに出来上がっていたが、その際は発表しなかった。
あらすじ等はウィキペディア記事で確認を。



かもめのジョナサンのどの部分に惹かれるかは、世代、背景の違いによって変わるだろう。
初めて読んだ際は、Part4部分が面白く、共感でき、いいなぁと思った。
Part4ではジョナサンが神格化されすぎて、飛ぶことよりも儀式や解釈に多くの時間を費やすようになってきた。
その状況に絶望した若いかもめアンソニーが自殺しようとしたが、その際「ジョナサン」と名乗る、かもめが現れるというところで本書は終わる。
この章では、ジョナサンという神に慕う愚かな信者たちを非常にシニカルに描いており、苦笑してしまった。
40年の時を経て、どうしてこの部分を発表しようとしたのか。
当時の時代背景を考えたからじゃないか。
何かに熱狂する若者が多かったヒッピー文化の時代、リチャード・バックは冷ややかな目でその社会現象を見ていたのかもしれない。
しかし、そんなときPart4部分を発表してしまうと、白い目で見られたかもしれない。



2回目に本書を読み返したときは、Part3までの内容についてじっくり考えながら読んだ。
ジョナサンは、飛翔技術の向上ということに熱中するあまり、はみ出しものであると見られ、群れから追い出された。
追い出されても、新しい場所で同類に出会え、一緒に技術を高めることができた。
瞬間能力まで身に着付けることもできた。
その後恩師からは、指導することの大切さを教わる。
そして、群れに戻って、飛翔技術を伝えたいという気持ちになり、行動する。
たくさんの弟子を作った。


ジョナサンの鳥生は、全体的に成功したように見える。
リアルな世界では、追放された後、自分の居場所を見つけられず、精神を病んでしまう人もいると思う。
また、群れに戻っても、飛翔したいというものに出会えるとは限らない。
何かを伝えたいという気持ちがあっても目も向けられず、流されてしまうことが多い。
ちょっと出来過ぎじゃないか?この物語?という思いも否めない。


「何か興味のあることに、周りの目を気にせず、やり切る」という部分だけを拾ってしまうと、「目標を持つものがない人」にとっては、ジョナサンの生き方に息苦しさを感じることだろう。
現在の私は、特にこれといった大きな目標はないため、そのテーマはあまり心に惹かれなかった。
大きな夢が無いことに少し寂しい気持ちを持ちつつも、そこから、私の小さな楽しみ方を見つけようとしている。(小さな目標を一つずつ達成していく)
枯れてしまった30代の意見じゃなく、今頑張っている若い子達にこの本を読ませたらどんな感想を持つのだろうと、ものすごく興味がある。


この本を読んで、あ、興味あるなって思ったものは、「宗教もしくは思想の成り立ちと持続」についてだ。

ジョナサンに関しては「ただ飛びたい」から派生している。
この本では大体200年くらいジョナサンの飛翔技術の伝承が続いている。
五木さんの後書きでは、法然を連想したとある。
仏教の基礎知識もなく、ふんわりした印象で、なんとなくわかるかもという感じの感想しか書けない。

現在、少しずつ哲学、思想についての理解を深めているところ。
たまたまこの本の後に「努力論」幸田露伴を読み始めたが、感じが似てるなぁとも思った。


借福 

自分が持っている才能やお金などを正当に使って、無駄にしないこと。

ジョナサンは飛びたい!思いと、飛ぶ才能もあり、

飛翔訓練に突き進んで行った。


分福

幸福を独り占めにするのではなく人と分け合うこと。

飛ぶことで幸福を得たであろうジョナサンは、沢山の弟子を作り飛翔方法を教えていった。


植福 

自分の力や情愛知識などを社会に貢献できるようのすること。

弟子を指導者に育て上げ(弟子に指導者としての自信をつけさせる)、かもめ界に革命を。



たくさんの思想が世界に溢れている。

色々見ていくと、言ってることが似通ってて、本質が近いんだなぁと気づく。

自分を形作る物に意識を向けたいと思う今日この頃。

私にとって、今、突き詰めたいことは、思想を学んだり、小説を読んだり、芸術に触れたり、人々と喋ることで

自分の感情を知り、どう生きるか考えることだなぁとぼんやり思っている。