slowly life 〜読書、美術館巡り、ワイン、コーヒー〜

気ままに日頃考えていることを文章にまとめるブログ。

診断3週目、流産手術の選択→進行流産 ズキズキ 〜長引く不妊治療で感じていること〜

<稽留流産から自然流産の経過>

稽留流産かもしれないと診断され、確定診断されたのは1週間後、そこから2週間手術をすべきか悩みながら、自然流産を期待していた。
ずっとチョビチョビとした血液が出てくるが、胎嚢らしきものは出てこない。
そろそろ手術を検討しようと思い調べていくうちに、流産手術には複数種類があることを知った。
掻把法(そうは)と吸引法
特に子宮や身体への負担が少ない、MVA(手動真空吸引法)が推奨されているそうだ。
私が不妊治療を受けている病院では掻把法を行っている上、夫同伴でないと手術ができないということでやめて、MVA法の病院を探した。
手術方法について詳しい内容は下記記事参照。


少しずつ出血量が増えてきたものの、だんだんと待つことに疲れてきたので、病院へ行き手術予約を行った。
手術日は、稽留流産かもしれないと診断されてから約1ヶ月後の日。
それまでに自然に排泄されれば万々歳。
もうこの時期まで来ると、流産に対する深い悲しみは吹っ切れており、とにかく早く出して次の妊娠に備えたいという前向きな気持ちに切り替わっている。


手術予約をした次の日急激な腹痛に襲われ、トイレでイキムとボトボトと子宮内容物が出てきた。

中に白色の塊も見つけ、ようやく胎嚢が出たんだとわかりほっとした。

子宮内容物がダラダラと一日中出続けた。

普段の月経よりも明らかに多い血液量。

お腹の中にこんなに詰まっていたのかと思うと不思議な気持ちになった。

この日からお腹がズキズキ痛んだ。

4日目だけどまだ痛みがおさまる気配がない。

子宮がどんどん内容物を押し出すように収縮していく。

お腹がポッコリしていたのは子宮のせいだったということもわかった。



<今の気持ち>

2回目の流産、自分の気持ちを少し分析してみる。
1回目の時は心拍確認前に流産してしまった。
心拍確認までが山だと思っており、2回目の妊娠で心拍確認ができた時は本当に嬉しかった。
あらゆることを計画して、未来について真剣に考え始めた。
区役所に行って、母子手帳ももらった。
心拍確認後、出産予定の病院へ行って検診を受けた際に、心拍消失、稽留流産の可能性があるということを聞いて、すごくショックを受けた。

8w6dの時だ。
つわりはほとんどなくて、そういう体質なんだなぁとポジティブに捉えていたが、成長が止まっていたので症状がなくて当然。
未来に対して絶望した。
子供ができないことに対するショックよりも、仕事を続けなくてはならないということがショックだったのかもしれない。
今の仕事にそこまで情熱があるわけではない。
確実に産休育休をもらえ、ワークライフバランスが良く、人間関係もさほど悪くないためズルズル続けているといっても過言ではない。
結婚7年、ずっといつか子供ができるためにと、この会社にしがみついていた。
仕事の内容にはもう飽き飽きしていた。
少し離れたいと思っていた。
転職のタイミングを逃し、ずるずる続けていた。
私は今回の妊娠で、一番嬉しかったことは、仕事から離れられることだったと思う。
子供ができて嬉しいよりは、休めることが嬉しいという、かなり浅はかな理由。
この考え方を変えたいと思いつつも、なかなか変わることはできない。
妊娠2ヶ月では、お腹の中に赤ちゃんがいることの実感はなかなか湧かず、ただ環境が変わるかもしれないという、ウキウキとした気持ちが占めているのだ。
動機の軽い、欲求。
世間の妊活中の女性はどの気持ちが強いのだろう。


稽留流産診断から進行流産まで約3週間、胎嚢が身体の中にとどまっていることに対して、早く出て欲しいという気持ちがどんどん強くなった。

胎児ではなく胎芽の段階、人格というものはなく、ただ細胞分裂を繰り返すだけの存在。

それが突然お腹の中で止まってしまい、その後胎嚢に吸収されてしまった。

完全に吸収されて胎嚢だけになった姿を、病院のエコー画像で確認した。

白歪んだ丸い線と、空白の黒い空間。

胎芽は完全に消えてなくなってしまっていた。

この画像を見て、完全に今回の妊娠による未練は吹っ切れていた。

とても無慈悲な気分だった。



稽留流産確定から10日間、心がどんよりして負のオーラを放っていたと思う。

気軽な会話すら乗れない。
誰とも喋りたくないモードが続いた。
きっかけは、夫との些細な喧嘩の後、涙したことだろうか。
スッとドス黒い感情が抜けた。
秋晴れの美しさ、金木犀の香りにも気付けるような、晴れやかな気持ちを持てるようになった。
人間の感情はすごい。波のような。
落ち切ったら、あとは快の方向へ向かっていく。
自分ではコントロールできない。
ホルモンのせいなのか、色々な思考がガラッと切り替わる瞬間というものがある。


自分の立ち直り力に今回も感心したわけである。
不妊治療の過程は、確実に私の人生に色を与えてくれている。
「不妊治療」
という重苦しい単語も、Maddyストーリーでは輝きに満ちた一章となることだろう。

そう希望を持って、いつか子供が宿り、子育てに苦悩するか日が来ることを楽しみに待つのである。