slowly life 〜読書、美術館巡り、ワイン、コーヒー〜

気ままに日頃考えていることを文章にまとめるブログ。

ネタバレあり 君たちはどう生きるか




公開日翌日、観に行きました。
情報が何もない状態で。
その後、少しだけ、Filmarkで皆の感想を読んだり、Youtubeでも解説動画を見てしまいました。
わかったようなわからないような解説動画。
8月10日にもう一度映画を見ました。


ここでは、私のたくさんの妄想を書こうと思います。

何も根拠資料のない私の頭の中で組み立てた解釈。
ネタバレもあるので、見ていない人は、読まないように注意してください。




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様々な切り口から語ることができる本作、

異世界のことについて妄想を書いていこうと思う。


真人が行った異世界についての考察

大叔父様の作ったこの異世界は、とても住みにくい世界に感じた。

元々はとても環境がよく、どんどん住みにくくなってしまったのかもしれないが。
この世界では、おそらく私たちの世界につながるものを生成しているのだろう。
その象徴となるのが、「わらわら」の存在。
この子達が私たちの世界では、赤ちゃんの元となるのだろう。
この世界では、「わらわら」を食べるペリカンがいる。
この世界の海には生物が極端に少なく、「わらわら」を食べなければ生きていけないらしい。
ヒミ様の火に傷ついたペリカンの言葉は胸を打つ。
ペリカンはおそらくこの世界から出ていきたいと思っている。


逆にこの世界は死者が集まる場所でもあるのだろう。

真人が異世界についたばかりのあの石の墓のような場所が、この異世界に降り立った死者が一番にたどり着くところなのかもしれない。

そこには生きてるものは入ってはいけない場所。



セキセイインコは何者

城を埋め尽くすセキセイインコたちは何者だろう。
彼らの主食はよくわからないが、人間を食べる。
この世界には人間が少ない。
人間は、現実の世界から迷い込んできた、真人やきりこ、ナツコ、ヒミ様、大叔父様くらいしか出てこない。
セキセイインコが普段は何を食べているのだろうか。
この世界に真人のように入り込んできた人たちを食べてるのだろうか。
大叔父様のつくる世界は、日本人を作る世界だとすれば、セキセイインコという日本にはいない外来生物(オーストラリアの固有種)が、この世界を侵食していることに対して、何か隠喩があるのではないかと思った。
私は、真人がいる現実世界である、戦時中であるという点に思いを馳せた。
外からの侵略と、セキセイインコという存在が重なる。


若いキリコさんとヒミ様の関係性

キリコさんとヒミ様は、同時代からこの世界に入り込んできたということが最後同じ扉から出るシーンでわかった。
ヒミ様は、真人のお母さんヒサコ。
キリコさんがお屋敷に奉公している時にこの異世界に迷い込んでいたとしたら、ヒミ様とキリコさんは顔見知りであったはず。

ヒミ様という呼び方ではなく、ヒサコ様と呼ぶのではないだろうか。
いや、当時の愛称だったのだろうか?

ヒミという。

キリコさん自身も、最後の扉を自発的に開けていたということは、元々自分のいる世界を覚えていたということ。

どうして1年もキリコさんとヒミ様はこの異世界に居続けたのだろうか。



この異世界の終わり
確かに真人が引き継ぐことはできないと強く言ったけど、最終的にぶち壊したのはインコの王様だった。
継承しようとする者、今までそれを支えていた者の意思ではなく、外的要因で終わってしまった異世界。
この外的要因を、原子爆弾などの核兵器の存在と強引に結びつけてしまった。

無事、そんな異世界からそれぞれ人間たちは現実世界に帰還できたのだが、それぞれが帰っていった世界は異世界の破壊に関係なく続いている。



異世界に何故現実世界の人が入り込むのか

異世界に入る人たちは、現実世界でおそらく生きづらさを感じている人なのではないかと思った。
現実世界からの逃避として、異世界に迷い込んでいる。
真人は、ナツコさんの存在を受け入れられないこと、ナツコさんは生まれてくる赤ちゃんをお腹に宿し希望を持ちつつも、懐くことのない真人さんに対する疎ましさを少しは感じていたことだろう。
また、亡くなってしまったヒサコに対するモヤモヤとした想いも抱いてたことだろう。

もしかしたら、過去のキリコさんとヒミ様も、現実世界で生きづらさを感じて、1年間異世界の住人として生活していたのでないのかと思う


異世界への行き方、キリコさんのように、巻き込まれもあるけど、なぜだか異世界では人間としてではなく人形として存在していた。

7体のおばあちゃんの人形も謎


時間軸の混乱

この世界での1年は、現実世界でも1年経過している。
30年くらい前から異世界に来たヒミ様・きりこさん、現在の軸から異世界に来た真人さん・ナツコさん、現実世界では交わらない時間をこの異世界では共有することができ、異世界の破壊を見届けることができた。
果たして、異世界が破壊されたタイミングは、現実世界のいつに相当するのだろうと考えると頭が痛くなった。
こういった内容は、あまり仕組みを細かく考えすぎてはダメだというブレーキは持ちつつも、気になると止まらなくなる沼。


パラレルワールドなのか?!

この異世界は、大叔父様が作るもの以外にも無数に存在していることだろう。
そうでないと、現実世界が何故続いてるかわからなくなる。
大叔父様は、小さなその異世界を一生懸命守っていたが、結局なくなってもなんら問題なく世界は続いていくのだ。
大叔父様の気持ちにたつとやるせなさを感じるオチだが、真人の気持ちに立つと、創造主としてでなく、現実世界に向き合って生きていく希望のある終わり方に感じる。


気持ちの悪いアオサギ

さて異世界への案内人となるアオサギは一体何者だったのだろう。
アオサギは異世界に元々住んでおり、時折案内人として現実世界に現れるのだろうか。
どこの時間軸の世界にもアオサギは異世界の案内人として存現れるのかもしれない。




異世界のことを、アニメ業界に関連づけて語る解説も多い。
私は、戦争と関連づけて考えてしまった。
宮崎駿は奥深く、様々なことを考え、葛藤を持ち続ける人。
色々な解釈を視聴者は持つが、宮崎駿の思想にどれが合っているかは、彼が語らない限りわからない。

事前情報の少ない前代未聞の映画作品。
これから、公式が開示する情報を少しずつ読み、自分の中の思い込みと、この作品の真の意味との相違を調べる作業を行っていきたい。