分人主義 「私とは何か」 平野啓一郎
今年は良い本に沢山出会った。
中でも一番自分にしっくり来た本は平野啓一郎さんが書いた「私とは何か」という本である。
分人主義という概念が説明されており、サイトにある動画を見るとおおよその概要がわかると思う。
この本と動画を見た時、安心した。
「どの分人も本当の私である」
ことがわかったからだ。
私は私をカテゴライズしたくない気持ちがある。
「内向的でおとなしい」「1人を好む」
以前の私はこれらの言葉で自分の性格を言い表していたけど、そんなことはなかった。
「性格は変わる」そう簡単なものでもない。
上の性格にプラスして「アグレッシブである」「初対面の人と積極的に交われる」など後天的にできるようになったこともある。
分人主義を見て、たくさんの分人をこれからも作って良いんだとポジティブな気分になったのだ。
新しいことにチャレンジしたり、新しい人に出会うと必ず分人ができる。
その分人は、物事や人に独特に作用し、今までとは違う反応を生じさせる。
分人の誕生がめちゃくちゃストレスになることもあるけど、それが楽しい。
私は分人主義を知る前から、様々な自分がいることと、その面が大きく活かせるようにということを考えていた。
人によって出す分人を調整していることを自覚していた。
誰かと話すとき、相手の得意なことに焦点を当てて、その人に発言を促し、新しい価値観や考え方を吸収できるように、努める姿勢が自分にあることに気づいた。
聞き側に回ることによって、自己主張のない、はっきりしない自分になってしまうけど、かなり学びのある時間になるのだ。
また、分人主義は自己の性格の見直しのための概念というより、他者を見る時に有効的だと感じた。
例えば、誰かと話した時、会話に違和感が生じることがある。
おそらく話題が良くない状況なのだと思う。
相手と自分の熱量が違う時にも生じる。
そういう時、一回で性格が合わないと決めつけるのではなく、今日は他の分人を見せてくれなかったんだなぁという考えを持ち、次回話せる時を楽しみにしようと思えるのだ。
つまらない会話というのは、お互いの分人が噛み合っていない時に生じるもので、視点を変えて別の話題を出すことで新たな相手が見えてくると思っている。
そういうことを考えられるようになったら、急に人付き合いと言うものが楽しくなってくるのだ。
私の中の分人は対1人であっても複数存在する。
私は自分の分人を細かくして考えている。
いろんな面を出そう調整している。
最近夫との会話が増えてきたのだが、家族間でも、1つの分人じゃなくて、他の面を見せようと意識が変わった。
ずっと同じ関係性を続けてきたが、違う。
いつも同じ会話、同じ熱量ではなく、少し頭を使いながら、状況に応じて、発展性のある会話をしたいと思っている。
感情的にならず対話できる方法を模索している。
今まで目を瞑ってきた問題と向き合うチャンス。
色々思考を深めていきたいと思う。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。